世田谷一家殺害事件⑥ 犯人の遺留品
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- 7月16日
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犯人が残したジャンパーのポケットからは三浦半島(神奈川県)の海岸の砂が検出された。砂は馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸のいずれかのものと推定される。葉片は当初ヒメザクロと思われていたが、DNA鑑定の結果、現在はケヤキとヤナギ(シダレヤナギ以外)となっている。“バッコヤナギ”など数種類にまで限定して絞られたヤナギは、街路樹に多い“シダレヤナギ”とは違い、主に水辺に生えている特徴がある。
被害者一家が事件の2年前に三浦半島の海岸のホテルに宿泊していたという情報がある。
三浦半島には“横須賀米軍基地”がある。
犯人が残したトレーナーが神奈川県厚木市内の店舗で3着販売されていた。
神奈川県厚木市には“米軍厚木基地”がある。
神奈川県の相模大野駅周辺ではトレーナーとマフラー以外の物が購入可能であった。
犯人のヒップバッグの中から、アメリカのカリフォルニア州にあるモハーヴェ砂漠南西部にある『エドワーズ空軍基地』付近の砂が検出された。
宮澤さん一家が『アメリカ軍の飛行機』のカレンダーを家に掛ける。他に、飛行機の切り抜きを冷蔵庫(?)に貼る。
エドワーズ空軍基地がある地域に『ネバダ核実験場』がある。ネバダ州のネバダ砂漠。
政府の記録によると1986年から1994年にかけて『ネバダ核実験場』で536回のデモが行われ、37488人が参加し、15740人が逮捕された。1987年1月5日には約2000人が核実験への抗議運動に参加し、400人以上が実験場に不法侵入を試みて逮捕された。
地元の“カトリックワーカー(キリスト教信者)”が『ネバダ核実験場』で抗議活動やる。
NPO法人ネバダ・デザート・エクスペリエンス(Nevada Desert Experience)
反核団体。1982年から『ネバダ核実験場』で抗議活動やる。1982年のイースター(キリスト教において最も重要とされる祭日)の日の抗議活動の横断幕には、イザヤ書(旧約聖書の一書)の「剣を鋤に打ち直せよ(They Will Beat Their SWORDS INTO PLOWSHARES)」が引用されている。
ネバダ核実験場で50年以上にわたって平和の徹夜運動を組織し、非暴力市民不服従行動に参加して核廃絶のために声を上げてきた、サンタバーバラ管区の元フランシスコ会所属の“ルイ・ヴィターレ神父”。“ルイ・ヴィターレ神父”は、霊性に重点を置き、非暴力的な生活のための教育プログラムを開発する組織『パーチェ・エ・ベネ(Pace e Bene)』の創立者の一人。
7ページに書いてある。
森田ゆり
1982年の『ネバダ核実験場』でやる“NPO法人ネバダ・デザート・エクスペリエンス”が一番最初にやった抗議活動に参加した。
2015年4月17日に35年ぶりに『ネバダ核実験場』を訪れて、地元の“カトリックワーカー(キリスト教信者)”や、“NPO法人ネバダ・デザート・エクスペリエンス”が主催する道路上での非暴力不服従行動に参加した。
先住民族インディアンの『ウエスタンショショニ族』も参加した“いのちの平和行進NPT”やった。
作家。うつ。エリクソン派催眠セラピスト。著書多数。元カリフォルニア大学主任研究員。
元立命館大学客員教授。
エンパワメント・センター設立者。1997年に設立してから、行政、企業、民間の依頼で、多様性、人権問題、 虐待、DVなどをテーマに日本全国で精力的に研修・講演活動をしている。
“アロハ・キッズ・ヨガ(ALOHA KIDS YOGA)”創設者。
朝日ジャーナルノンフィクション大賞受賞。産経児童文化賞受賞。保健文化賞受賞。
『ネバダ核実験場』の抗議活動写真。座り込んでる人がいる。
『ネバダ核実験場』で初めて核実験が行われた日にあたる『ネバダ・デー』の27日に、核実験禁止を求める座り込みが広島であった。被爆者ら約50人が、広島市中区の原爆死没者慰霊碑前で核廃絶を訴えた。『ネバダ・デー』は1984年に全米各地で反核集会が開かれたことを機に始まった国際連帯行動で、広島でも毎年座り込みが続けられている
『ネバダ核実験場』は鳥取県がすっぽり入るほどの広大な実験場。南西400キロに“ロサンゼルスゼルス”。北西500キロに“サンフランシスコ”がある。100回の地上実験は偏西風の吹く日に行われたため、大都市への汚染の影響は少ないが、東のユタ州、コロラド州、モンタナ州への核汚染は高い。どれだけの数の人が被ばくしているかは定かでない。ユタ州南部の『モルモン教徒(キリスト教信者)』の町“セントジョージ”では、2万人が被ばくして白血病などで苦しみ、現在原子力委員会相手に訴訟を起こしている。ハリウッド映画俳優“ジョン・ウエイン”は、肺がん、胃がん、腸癌と次々と発症し死ぬまで苦しみぬいたが、死因は『ネバダ核実験場』の風下にあった西武劇の長期ロケ地での被爆によると言われている
『ネバダ核実験場』は地球上で最も多く爆弾が落とされた場所。1992年まで928回の核爆弾の実験が行われ、そのうち地上実験は100回、地下実験828回。今でも臨界前実験が活発に行われ、その回は優に1000回を超える。
『ネバダ核実験場』がある場所は、もともと先住民族インディアンの『ウエスタンショショニ族』が住んでいた土地。アメリカ政府は1868年の“平和と友好の条約”で、金鉱さがしで追い立てられ殺されたウエスタンショショの人々にこの土地を返すことを宣言したが、約束は守られず、代わりに核実験場とされてしまった
シリコンバレー
IT企業が密集する地域。カリフォルニア州にある地域。スタートアップの聖地。多くの先端IT企業がシリコンバレー内に本拠を置いている。“google”“apple”“facebook”などの本社がある。
犯人は犯行時、凶器の包丁を黒色ハンカチに包んだ。
キリスト教は葬儀の時に、遺体を収めた棺を黒い布で包む。黒い布が悲しみや故人への敬意を象徴するとされている。
犯人の遺留品のハンカチを包丁に包む使われ方。中国の水産加工場で、包丁で魚をさばく際の滑り止めのため、似たような方法で包丁にハンカチを巻いていたという情報が警察に寄せられている。
犯人の遺留品の黒色ハンカチを包丁に包む使われ方。複数の人から、フィリピン北部の“イロコス地方”と“イサベラ州”でこうした使い方がされているとの情報が寄せられた。武器を隠したり動物を殺したりする際や、儀式などで採り入れられている、との内容。軍人やギャングが刃物の包み方として用い、動物を殺す際や儀式に使う場合もあるという。
フィリピン北部の“イロコス”と“イサベラ”は貧困地域。
フィリピンはアジア唯一のキリスト教国。国民の93%がキリスト教徒。
フィリピンでは多くの人が日曜日に礼拝に行くのはもちろんのこと、ショッピングモールなどでも毎日決まった時間(1日2~3回)にお祈りのため1分間アナウンスがある。その間は、皆が動きを止めてお祈りをする。
NPO法人RASA-Japan
フィリピン北部の“イロコス”を支援する。
ジョン・ジョセフ・シーランド(南山大学名誉教授《キリスト教系大学》)が創設者。
フィリピン支援する国際ボランティア団体。
フィリピンの貧困支援やる。
学校建設事業・ボランティア派遣事業・栄養失調児救済事業やる。
愛知県名古屋市天白区中平2-26-27。
“南山大学”と“上智大学”が連携する。
“南山大学”と“上智大学”は、カトリック系総合大学として、「日本カトリック大学連盟」の中心的役割を担い、日本におけるカトリック系大学の振興と向上を図り、学術文化の発展に貢献してきた。
これまでも、伝統ある「上南戦(上智大学南山大学総合対抗運動競技大会)」などの学生の交流や、文部科学省「大学の世界展開力強化事業」の共同実施による国際性の推進など、さまざまな場面で継続的に協力を続け、共に発展してきた。
NGO団体ギバン ソーイング グループ
フィリピン北部の“イサベラ”を支援する。
団体発足のきっかけは、約30年前に、日本人の修道会「聖母訪問会」のシスター達が、ルソン島イサベラ州で奉仕活動を開始したこと。
田舎の貧しい女性たちが少しでも現金収入を得られるようにと、雑巾作りをしたのが始まり。その後、レース編みに本格的に取り組み始め、日本にある教会の支援を受けて、日本を中心に販売していた。現在はマニラ在住の人々を中心に販売し、各種バザーに出店している。
当団体で販売している製品は、シンプルかつ繊細で美しいと評判。貧しい女性たちが試行錯誤をしながら、大変細かな作業に地道に取り組んでいる。
NPO・NGO団体チャイルド・ファンド・ジャパン
フィリピン北部の“イサベラ”を支援する。
子どもたちの教育や医療支援する。
アジアの貧困層の子ども支援団体。
1975年から活動。
東京都杉並区善福寺2-17-5。
NGO団体パクパクナティン
フィリピン北部の“イロコス”を支援する。
フィリピン女性支援団体。
minne使う。
千葉県印西市小倉台3-1-12-302。
NPO法人・NGO団体LOOB(ロオブ)
フィリピンで青少年活動とコミュニティ開発を行っている。
貧困層の子ども達の教育支援やる。
日系NGO。
代表の小林幸恵が大学在学中の1995年に名古屋YMCA(キリスト教青年会)主催のフィリピンワークキャンプに参加した経験から、“青少年の健全な成長が世界から貧困と戦争を減らす最良の手段”と信じ、活動理念の根底になっている。
小林は1998年にマニラに単身渡航し、NGOや日系企業で働きながら、2001年春にフィリピンYMCA(キリスト教青年会)の元仲間と非政府組織(NGO)Love Our Own Brethre(LOOB) Inc.を創設した。“LOOBシェアハウス”開設する。オフィス兼ボランティアの住居となっている。
東京都中央区日本橋蛎殻町1-24-4井川ビル2F ソーシャルビジネスラボ内。
小林幸恵
NPO法人・NGO団体LOOB(ロオブ)の共同創業者。
藤女子大学在学中(キリスト教系大学)に、フィリピンYMCA(キリスト教青年会)のワークキャンプを経験し、その原体験に導かれるように、大学卒業後にマニラに単身移住した。
NGOや日系企業での経験を経て、“青少年の健全な成長が世界から貧困と戦争を減らす最良の手段”と信じ、現地の仲間とともにフィリピンの非政府組織(NGO)LOOBを創設した。
吉永幸子
NPO法人・NGO団体LOOB(ロオブ)の理事。
桜美林大学(キリスト教系大学)にて国際協力専攻。
セレクトショップ『HAPPY ∞ HAPPY』創業する。
LOOBはフィリピンで貧困の子供達への教育支援などをやる団体。
大学のフィリピン留学でのインターン先であったLOOBで活動し、帰国後もボランティアで活動に参加。
≪桜美林大学2年生(キリスト教系大学)の夏に参加したフィリピンでの国際協力研修の経験がなければ、私が今の道を歩むことはなかったでしょう。そこで路上暮らしを20年以上続ける女性と出会ったことが原動力となり、卒業後もずっとフェアトレードの分野で国際協力活動を続けています≫とインタビューで話す。
輸入食品の販売アルバイト等を経てNPO法人LOOB JAPANの理事。
現在、講師として、ワークショップや講演を通じて、“自分にできる国際協力の在り方”を広めている。
NGO団体イカオ・アコ
フィリピンで活動。
環境NGO。
「NamiNamiリサイクルグッズ」を生産しているのは、活動地域(ネグロス島シライ市)にある「Talleres de Nazaret(ナザレの仕事場)」という現地団体。
この団体では、裁縫の技術と職場の提供を通し、貧しい家庭に生まれ教育の機会が得られなかった女性たちや、家庭内暴力の被害を受けた若い女性たちの自立を支援している。また、これらの商品に付いているイカオ・アコのロゴは、現地のマングローブ植林メンバーの女性たちが刺繍したもの。
環境NGOイカオ・アコでは、1997年よりフィリピン・ネグロス島で日本人とフィリピン人が一緒になってマングローブを植林することを通して、地域の人々と環境に貢献する活動を行っている。
このフェアトレード事業で得た収益は、マングローブの植樹・メンテナンスに使われている。
イロカノ族
フィリピンのいわゆる平地キリスト教民の一グループで、ルソン島北部の西海岸のイロコス・ノルテ、イロコス・スール両州およびカガヤン河谷などに住み、イロカノ語を話す。
ハワイやアメリカ本土に新天地を求めて移民となる者が多い。
イロカノ族出身者のなかには、マルコス大統領をはじめ、政府や軍の要職に就いている者が多い。
フィリピン北部の“イロコス”とキリスト教
市の歴史スペイン人の到来以前から金鉱として栄えたこの土地には、中国や日本からの貿易商が来訪し、陶磁器や絹、装飾品と金の交易が行われていた。
スペイン人征服者の1人であるホアン・デ・サルセドは、1572年にマニラに次ぐ新たな開拓先としてラオアグ市のあるイロコスノルテ地方に進出した。その後、スペイン人によるキリスト教の布教活動が行われ、1580年にはアウグスティノ修道会の伝道師がローマカトリックの教会(セント・ウィリアム大聖堂)を建設した。ラオアグは1585年には町として整備され、イロコス地方北部で最初の教会区となった。ラオアグは1966年に市となり、現在に至るまでイロコスノルテ州の州都として栄えている。
フィリピン北部の“イサベラ”とキリスト教
犯人の遺留品のラグランシャツは木村拓哉がTBSのドラマ“ビューティフルライフ”で着ていたもので、当時若者から人気があったシャツだった。(2000年の1月~3月にかけて
放送された)。
ビューティフルライフ
TBSのドラマ。腕はあるが人気のない美容師の男性と、17歳の時から難病に侵され車椅子での生活を強いられながらも健気に生きる図書館司書の女性を描いたラブストーリー。
このドラマをきっかけに“バリアフリー”という言葉が広く一般に知られるようになった。
土井裕泰
“ビューティフルライフ”の演出家。
TBS・コンテンツ制作局ドラマ制作部所属のテレビドラマの演出家、映画監督。
新卒でTBS入社。
広島学院中学・高校卒(キリスト教系学校)。
広島県広島市、現在の中区鉄砲町出身。
『ラストマン-全盲の捜査官-』『愛していると言ってくれ』などのTBSドラマの演出やる。
早大時代は劇研に所属、劇団山の手事情社の初期メンバーとして舞台に出演した。同時期に所属した役者に池田成志、清水宏らがいる。
高田雅博
“土井裕泰”の広島学院中学・高校の同級生(在学中8ミリ映画を共同制作したこともある)。
高校時代から映画館に通いつめまた大林宣彦監督の『転校生』の尾道のロケ現場にも行った。
上智大学文学部英文学科卒(キリスト教系大学)。
CMディレクター、映画監督。
北川悦吏子
“ビューティフルライフ”の脚本家。
脚本をつとめたドラマ『愛していると言ってくれ(1995年)』『半分、青い。(2018年)』『オレンジデイズ(2004年)』で聴覚障害者を描く。
早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業後に、広告代理店に入社するが雑用ばかりの環境に心身ともに疲れ、半年で退社。半年間休養した後、にっかつ撮影所に入社し、勤務しながら脚本を学ぶ。
かねてより闘病していることを明かしており、ブログでその日々を綴ったものをまとめた『のんちゃんのふとん』を出版しているが家族が心配するため病名は公表してこなかったが、2015年に病名を明らかにした。
もともと腎臓が悪く、16歳のとき「子供は産めない」と告知され1993年に子供をもたないという条件で通信社勤務の男性と結婚したが1997年に思いがけず妊娠、娘を出産した。1999年、人間ドックで国指定の難病である炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎)が見つかり、投薬を続けて寛解と再燃を繰り返していたが2010年6月に大腸全摘出手術を受け、症状が落ち着いた。だが2012年、左耳が突然聞こえなくなり突発性難聴と診断され入院するがその後、聴神経腫瘍と判明する。左耳は完全失聴したが自身が脚本を書いた同じく失聴したヒロインが登場する『オレンジデイズ』の台詞に励まされたという。
生野慈朗
“ビューティフル・ライフ”の演出家。
TBSのドラマ演出家。
長女はファッションモデルの生野優子(バークインスタイル所属)。
慶應義塾大学経済学部卒。
兵庫県神戸市出身。
世田谷一家殺害事件の犯人がフランス製の香水“ドラッカーノワール”を使う。
ショーン・ホワイト
世田谷一家殺害事件の犯人が使っていたフランス製の香水“ドラッカーノワール”を使う。犯人はショーン・ホワイトに影響されて使用していた可能性がある。
アメリカのプロスノーボード/スケートボード選手。
生後3か月の時“ファロー四徴症”という心臓病の一種が見つかり2度の手術を受けた。心臓に4つの障害を持って生まれた。“ファロー四徴症”は精神発達遅滞や認知機能障害を伴うことが比較的多い。病状によっては抑鬱状態に陥りやすい患者も多い。
カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。
大の親日家で、ガンダムと温泉が好き。また、少しの日本語を話せる。
バンド『BAD THINGS』でギタリストやる。
自身の監修したゲームソフトは各国で好評。
ニーナ・ドブレフ
ショーン・ホワイトの妻。
両親がブルガリア人であるためブルガリア正教徒(キリスト教)。
ブルガリア人民共和国の首都であるソフィアで、コンピュータ科学者の父親とアーティストである母親の間で生まれた。
2歳のときに家族と共にカナダに移住し、主にオンタリオ州トロントで育った。
幼少期より芸術の多くの分野で、情熱的な反応と才能を見せた。特にダンス、体操、演劇、音楽、ビジュアルアート、演技でその傾向が見られた。
オンタリオ州スカーバローにあるパブリックスクールとウェックスフォード・カレジエイト・スクール・フォー・ジ・アーツで学んだあと、トロントにあるライアソン大学で社会学を学んでいたが、女優業に専念するため、2008年に中退した。
ディーン・アームストロングが主催する演劇学校で学んだ。最初はTVのCMモデルをしていたが、演技の世界へ入るため、映画やテレビのオーディションを受けた。
趣味でカスタムジュエリーを作る。
エンジニアである1人の兄がいる。
母国語であるブルガリア語と、カナダ育ちのためフランス語、更に英語が堪能。
犯人の遺留品の中で唯一“マフラー”だけが製造元・販売店等が判明してない。安価なつくり
服飾学校出身の個人が“ネット”とか“個人店舗”で売ってた商品かも。
服飾マフラー
犯人が身に着けていた韓国製品の“靴(日本では未発売)”。
韓国製品扱う日本のセレクトショップで買ったのかも。原宿にそういう店がいっぱいある。
古着屋は直接現地(韓国)行って買い付けしたりする。
事件から100日目に仙川沿いに置かれた地蔵は東南アジア産の御影石を使って、朝鮮半島で作られた。底部に“六”の漢数字あり。
地蔵は彫刻。美術大学に彫刻科ある。美術大学の彫刻科出てれば個人でも地蔵作れる。
埼玉県内の信用調査事務所に電話で、世田谷一家殺害事件の被害者“宮澤さん”の調査依頼があり、お金を貰って調査した。依頼主が“アオキノブオ”と名乗る(2000年8月15日・10月23日)。
その調査依頼した男と似た声の男が、埼玉県さいたま市父娘放火殺人事件の被害者“岡部沙和佳さん”の通っている『ルーテル学院中等部(キリスト教系中学)の在校生全員の名簿を入手して欲しい』と、同じ信用調査事務所に依頼する電話があった。代金の支払いがなかったから調査はしなかった(2000年11月24日)。
犯人は仕事部屋の書棚からみきおさんの仕事や趣味関係の書類、泰子さんが営む学習塾・公文教育研究会祖師谷公園教室の生徒名簿やプリント、“新聞折り込みの広告チラシ”に至るまで大量の書類を浴室まで持ち込み、水が張ってある浴槽にまとめて投げ込んでいた。そんな中にはわざわざハサミで切り刻んだり、手で引きちぎって投げ込んだものもあった。
ジュングループ
犯人のマフラーとそっくりな服売る。ジュングループが運営するアパレルブランド“JUNRed(ジュンレッド。現在は閉店)”が売る。
“社会福祉法人神戸聖隷福祉事業団 (キリスト教系団体。日本基督教団西神戸教会の牧師が作った。兵庫県神戸市須磨区友が丘1-1)”と連携し、障害者の雇用部署『神戸HC(ハンディキャップ)業務部』が、15年間にわたり障害者の雇用と生活支援を行う。
“JICA”主催、スリランカ公務員に向けた日本の障害者雇用に関する研修プロジェクトにおいて、ジュングループの『神戸HC(ハンディキャップ)業務部』への職場見学を何回もやる。
≪遅くとも、2030年までには、商品の100%がトレーサビリティを徹底した、地球とそこに生息する生きものにやさしいリサイクル素材、もしくは、天然素材の起用と製造方法を実現する≫と書く。
マールタータン
犯人のマフラーとそっくりなマフラー売る。
スコットランド(イギリス)のアパレル会社。
4月6日に歴史ある“アーブロース修道院(キリスト教系施設)”でアーブロース修道院友の会と共に、今年の宣言記念日を祝うイベントやる。
生地の端切れはすべて100%リサイクルされている。サンプルとして使用しない場合は、すべての端切れを回収し、クラフトなどに使用できる袋に入れて保管している。これらの袋は、地元のクラブ、学校、保育園に寄付し、美術工芸プロジェクトや感覚活動に活用される。
環境への影響を軽減するため、梱包には特に力を入れており、完全にリサイクル可能な梱包材への移行を進めている。箱、小袋、紙テープ、店舗で使用する紙袋はすべて生分解性。現在在庫を減らしていく中で、環境に優しい代替品に切り替え、すべての梱包材を100%リサイクル可能なものにしていく。
社内で使用されたビニール袋はすべて配送部門によって回収され、再利用される。
ウールは100%天然素材、100%再生可能、100%持続可能、そして100%生分解性。
2002年設立。
Coleman(コールマン)
犯人のマフラーとそっくりな商品売る。
アメリカ系企業。
オクラホマ州で誕生した。
『YMCA(キリスト教青年団)障がい児プログラム』がサポート団体で、子供たちの自然体験イベントやる。
東京都港区芝浦4―9-25 芝浦スクエアビル。
ラルフローレン
犯人のマフラーとそっくりなハンカチ売る。
アパレル会社。
ラルフ・ローレン
ラルフローレンの創業者。
ファッションデザイナー/慈善家。
両親がユダヤ人移民で芸術家兼塗装工。
16歳の時、学校でのいじめを理由に、兄の“ジョージ・ポイトラス・ローレン”と共に、姓を法的にリフシッツからローレンに変更した。この名前を選んだのは、兄の“ジェリー・ローレン”がアメリカ空軍でいじめを受けた後にこの名前を選んだことに倣ったもの。夫婦でニューヨーク市の『レキシントン聾(ろう)学校≪視覚障害者の為の学校。1865年設立≫』内に“ラルフ・アンド・リッキー・ローレン舞台芸術センター“を設立した。夫婦でハーレムの『ノース総合病院』内に癌センターを設立した。
1962年から1964年までアメリカ陸軍に勤務した。
除隊後、アパレル会社“ブルックス・ブラザーズ”で短期間販売員として働いた後、ネクタイメーカーの“リベッツ”で販売員になった。
28歳の時、ネクタイメーカーの“ボー・ブランメル”で働いていたローレンは、社長を説得して自身のブランドを立ち上げる許可を得た。
1967年、紳士用ネクタイを扱う“ラルフ・ローレン・コーポレーションを設立した。
ニューヨーク出身。
リッキーローレン
ラルフローレンの妻。大学時代に働いてた眼科でラルフローレンと出会った。
心理療法士/芸術家/写真家/作家。元教師。
母がカトリック教徒(キリスト教信者)。父がユダヤ人。両親がオーストリア移民。
結婚後に写真の勉強をした。
著書あり。
ニューヨーク市で育った。
カルバン・クライン
“ラルフ・ローレン”や“ロバート・デニング”とともにブロンクスのユダヤ人コミュニティで育った数人のデザインリーダーの一人。
ファッションデザイナー。
芸術デザイン高校卒。マンハッタン。
1998年、病気の子供たちを支援するため、スターブライト財団主催の『新しい服の皇帝』の著名人朗読会に参加した。
“カルバン・クライン”を起業する。
衣服に加え、香水、時計、ジュエリーを売る。
アメリカで、オーストリアのハンガリー帝国(現:ウクライナ/ルーマニア)のガリツィアとブコヴィナからの移民の両親のもとに生まれた。
父はオーストリアのハンガリー帝国(現:ウクライナ/ルーマニア)で生まれ、ニューヨークに移住した。
1962年に老舗のマント・スーツメーカー、ダン・ミルスタイン氏のもとで修行を積み、その後5年間ニューヨーク市内の他のショップでデザインに携わった。
幼なじみの“バリー・K・シュワルツ”と共に最初の会社を設立した。
同性愛者の雑誌編集者“ギュンツブルク男爵(パリ生まれのロシア系ユダヤ人一族の末裔)”の弟子となり、ニューヨークのエリートファッション界に紹介された。
テキスタイルデザイナーの“ジェーン・センター”と結婚した。
ニューヨークで同じ高校に通い、隣同士で育ったにもかかわらず、クラインとセンターは大学に入るまで出会わず、交際もしなかった。
二人にはテレビプロデューサーの“マーシー・クライン”という娘がいる。
当時11歳だった娘の“マーシー・クライン”がベビーシッターに誘拐された。父親が身代金を支払った後、警察に逮捕された。
ニューヨーク市ブロンクス区出身。
ロバート・デニング
“ラルフ・ローレン”や“カルバン・クライン”とともにブロンクスのユダヤ人コミュニティで育った数人のデザインリーダーの一人。
インテリアデザイナー。
15歳の時、“ガイ・ベックリー・スターンズ博士”の研究助手で、後に有名な写真家となる“エドガー・デ・エビア”と出会った。
ホメオパシー医学研究の被験者となり、両親と弟がフロリダに転居した後も、ニューヨーク市に留まり、“エドガー・デ・エビア”と母親のピアニスト“ミイラ・アルハンブラ”と一緒に暮らした。
ニューヨーク州ニューヨーク市出身。
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