世田谷一家殺害事件① 被害者“宮澤泰子さん”
- 完全体
- 6月16日
- 読了時間: 24分
更新日:7 日前
事件概要
2000年(平成12年)12月30日午後11時頃から12月31日未明にかけて発生。
東京都世田谷区上祖師谷3丁目に住む“宮澤みきおさん(44歳)”“宮澤泰子さん(41歳)”“宮澤にいなちゃん(8歳)”“宮澤礼君(6歳)”の一家4人が殺害された。
≪被害者詳細≫
宮澤泰子さん
41歳。
東洋英和女学院大学卒。キリスト教系大学。日本基督教団の関係学校。
元資生堂社員。宣伝部所属。資生堂宣伝部は“アート”“デザイン”やるクリエイティブ職。芸術大学出身者が多い。
1986年12月、自己啓発セミナーで知り合った、みきおさんと結婚(みきおさん30歳、泰子さん27歳)。
1988年資生堂を退社して、1989年から学習塾の“公文”を開く。姉の“入江杏さん”と一緒に経営する。
自閉症の礼君を連れて、言語治療などに関するボランティア活動に参加。医師やカウンセラー、言語治療士ら専門家や相談員に積極的に相談を持ちかけたり、同じような子供を持つ親やボランティアのメンバーと交流を持つ。
親族に三つ子がいる。
実家が東京都品川区の旗の台で不動産業を営んでいた。
TBSのテレビ番組『噂の東京マガジン』の街頭インタビュー受ける。
池田守男
東洋英和女学院理事長・院長(キリスト教系大学)。
資生堂社長/資生堂学園理事長。
日本基督教団銀座教会員。東京神学大学神学部卒。18歳でキリスト教の洗礼を受けた。
香川県高松市出身。
東洋英和女学院大学
キリスト教系大学。
日本基督教団の関係学校。
『日本基督教団鳥居坂教会』が東洋英和女学院の横にある。1883年に設立されて以来、東洋英和女学院と深い関係を保ち続ける。
過去3年の主な就職先(2025年5月1日現在):『公益財団法人横浜YMCA(キリスト教青会)』『生活クラブ生協・神奈川(生協はキリスト教と関係深い団体)』『独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構』『社会福祉法人八王子市社会福祉協議会』『横浜中学校・高等学校』『横須賀市』
“発達障害児“不登校”“ひきこもり”などを支援する『こころの相談室』を運営する。
アートで障害者支援やる。
人間科学部保育子ども学科:建学の精神『敬神奉仕』に基づき、キリスト教の人間観と子どもの理解にたった保育者養成の伝統を継承しつつ、幅広い分野の学びで得た総合的な人間力を備えた保育者を育成する。
国際社会学部国際社会学科:幅広い教養に基づいて、複雑な国際社会の仕組みを理解し、関係し合う要素を分析して、貧困や紛争などの課題の解決方法を研究する。開発・教育・貧困といった世界の諸問題の現場を訪れ、最前線で働く人々から直接学ぶことができる“語学留学”がある。
国際社会学部国際コミュニケーション学科:世界と日本の特質を深く知り、国境を越えた共生を探究する。
人間科学部人間科学科:心理学や社会学、教育学、宗教学を基礎に、複雑で多様な側面を持つ人間のこころや行動について多角的に学ぶ。
1884年、カナダ・メソジスト教会から派遣された“マーサー・カートメル”が設立した英語学校が前身。“マーサー・カートメル”は幼くして母を亡くし、伯父夫婦に引き取られて育った。しかし、その伯父と実父も相次いで他界。自立して生きることを考えた彼女は公立女学校卒業後、教員を養成するトロントの女子師範学校で学んだ。そして、ハミルトン市の官立女学校の教師になり、同校の校長に就任した。
“横浜国立大学”などの横浜市内大学間で単位互換やる。
SDGs活動やる。
環境活動やる。
神奈川県横浜市緑区三保町32。
日本基督教団祖師谷教会
事件現場の宮澤さん一家の家(東京都世田谷区上祖師谷3-23-26)の目と鼻の先にある教会。 “賀川豊彦”が創立した『武蔵野農民福音学校』の跡地に建てられた保育園から始まった教会。
宮澤さんの家と教会の間に『子供の運動広場(祖師谷公園内)』『スケートボード場(祖師谷公園内)』がある。
宮澤さんの家の前に『子供の遊び場(祖師谷公園内)』がある。
祖師谷教会の横に『祖師谷保育園(キリスト教系保育園。1953年設立)』がある。
“祖師谷保育園”の『夏休み子供食事支援』を祖師谷教会でやる。“食物アレルギー”の事を注意する。
東京都世田谷区上祖師谷3-20-19。
祖師谷保育園
“日本基督教団祖師谷教会”の横にある。
キリスト教系保育園。1953年設立。
祖師谷保育園の『夏休み子供食事支援』を“祖師谷教会”でやる。“食物アレルギー”の事を注意する。アレルギー児に対する除去食および代替食の実施をしている。
障害児保育やる。障害を持った子供と健常児が一緒に生活をする中で、共に育ち合い、優しさや思いやりの心が育まれていく。
絵画の時間ある。
クッキング保育やる。
東京都世田谷区上祖師谷3-20-17。
賀川豊彦
事件現場の宮澤さん一家の家(東京都世田谷区上祖師谷3-23-26)の目と鼻の先にある教会『日本基督教団祖師谷教会 』を設立した。
大正・昭和期のキリスト教社会運動家・社会改良家。
日本基督教会で牧師の資格を得た。
神戸神学校(のちの中央神学校)卒。明治学院神学部予科(キリスト教系学校)に通う。
学生時代にキリスト教に入信し、21歳のときに神戸の貧しい人たちが住む地域に移り住み、救済活動に励んだ。
キリスト教における博愛の精神を実践した〝貧民街の聖者〟として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前は現代の〝三大聖人〟として『カガワ、ガンジー、シュヴァイツァー』と称された。
神奈川県茅ヶ崎市にある〝平和学園(キリスト教系学校)〟の創始者。『世界平和に貢献できる人を育てる』がモットーの学校。
1914年に渡米し、アメリカの社会事業、労働運動を垣間見つつ、プリンストン大学・プリンストン神学校に学び、1915年にスラムでの経験をふまえて渡米前に執筆した『貧民心理之研究』が出版される。
1938年5月〝満洲〟を視察する旅行に出かけた。
4歳の時に相次いで父母と死別し、姉と共に徳島の本家に引き取られる。徳島では血のつながらない父の本妻と祖母に育てられるが、「妾の子」と周囲から陰口を言われるなど孤独な幼年時代を過ごした。兄の放蕩により15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の森六兵衛の家に移る。
旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)に通っていた1904年、日本基督教会徳島教会にて南長老ミッションの宣教師H・W・マヤスより受洗する。
結核に苦しみ、また信仰への懐疑に煩悶(はんもん)しながら、やがて「貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮してみたい」と一念発起し、1909年神戸市新川のスラムに住み込み、路傍伝道を開始する。「みんなが共に助け合う社会を創りたい。」彼のその強い信念は、人々の心に共鳴し、やがて『生活協同組合(生協)』の創設に至る。「生協の父」と言われた。日本生協連初代会長。
1912年には一膳飯屋〝天国屋〟を開業した。
1932年まで福音伝道のため全国を巡回した。また米国・中国・欧州等世界各国で講演活動を行った。
1944年10月20日、宗教使節として〝中国〟に赴く。
1946年に〝学校法人桜美林学園〟の創立のため、町田市内の米軍工場跡を安三に提供した。安三と共に桜美林学園創始期の運営に携わり、初代理事長に就任した。
同志社大学(キリスト教系大学)で講義する。
〝イエス団〟創始者。
〝日本農民組合〟創設者。
戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。関東大震災では、発生翌日に行動を開始し、義援金を集め、診療所の設置や妊婦の保護などの救護活動を行った。
〝武藤富男〟らと共に、キリスト教系新聞『キリスト新聞』(発行元:キリスト新聞社)を立ち上げた。
妻のハルは結婚後、賀川とともにスラムで貧民の救済活動に献身、不衛生なスラムの環境によりトラコーマに感染し右目を失明するも、救貧活動を続けた。なお、賀川も両眼ともトラコーマに冒され、何度も失明の危機を経験している。
著書あり。
賀川督明
“賀川豊彦”の孫。
グラフィックデザイナー。カガワデザインワークショップ有限会社代表。
社会福祉法人学校法人イエス団の理事。
兵庫県ユニセフ協会理事。
賀川ハル
“賀川豊彦”の妻。
社会運動家。
日本基督教婦人矯風会の理事。
キリスト教功労者を受賞。
神奈川県横須賀市出身。
父の転勤で神戸に移り、父親の勤務する福音印刷会社の女子工員として働く。
1911年の夏に、従業員の賛美歌指導に来た“賀川豊彦”に出会った。
1912年12月21日にマイアース宣教師より洗礼を受ける。
共立女子神学校卒。
著書あり。
賀川純基
“賀川豊彦”の息子。
教会音楽家。
賀川豊彦記念松沢資料館の初代館長。
武藤富男
“賀川豊彦”と一緒に『キリスト新聞』を立ち上げた。
牧師。
第7代明治学院院長就任(キリスト教系学校)。翌年に明治学院東村山高等学校(キリスト教系学校)を設立、同校長に就任。恵泉女学園理事長(キリスト教系大学)。
日本聾話(ろうわ)学校理事長。中途失明女子の自立更生施設〝東京サフランホーム〟理事長。
満洲国の官僚。
裁判官。
4歳の時に生家が破産し、さらに父親が他界。貧困の中、母親を手伝いながら、静岡県御殿場神山の高等小学校を卒業。
14歳の時奉公のため上京し、湯島付近の家で雑巾がけ、子守、主人の手伝いなどをしながら開成夜学校で学び、16歳で高等学校高等科入学資格試験(高検)に合格。翌年第一高等学校文科甲類に入学した。東京帝国大学法学部卒業後、裁判官となり東京地方裁判所判事を務めた。
1934年に渡満し、以降、満洲国司法部刑事科長、国務院総務庁弘報処長、満洲国協和会宣伝科長を歴任した。
米アイオワ州セントラルカレッジより名誉法学博士号授与。
著書あり。
息子〝武藤一羊〟は社会運動家『ベトナムに平和を!市民連合』を経て、『ピープルズ・プラン研究所』を創設した。
賀川記念館
“賀川豊彦”とその仲間たちの功績を伝えるミュージアム。
カフェ、幼児園、学童保育などを併設したコミュニティーセンター。
社会福祉法人〝イエス団〟が運営。
兵庫県神戸市中央区吾妻通5-5-20。
公文
宮澤泰子さんが資生堂退職後に、姉の“入江杏さん”と一緒に経営する。
子ども向け学習塾運営会社。
“第一回公文障害児指導研究大会”開催(1981年)。障害をもつ子ども子供達への指導について研究を深め、実践に活かすための集会。毎年年1回開催される。
障害児・者への学習支援サポートやる。
児童発達支援・放課後等デイサービス(障害児支援施設)への学習支援サポートやる。
障害者就労支援施設への学習支援サポートやる。
児童福祉施設への学習支援サポートやる。
貧困や不登校などの困難を抱える子どもたちの支援やる。
教育を通じて世界平和に貢献する。
外国人への日本語教育支援やる。
フランス語・ドイツ語教室やる(1986年から)。
海外で広く展開する(ヨーロッパ・アメリカでも)。
認知症者への学習支援サポートやる。
環境活動やる。
子育て応援活動やる。
SDGs活動やる。
資生堂
宮澤泰子さんが元資生堂社員。
化粧品会社。
1972年から資生堂児童福祉海外研修やる。ヨーロッパ福祉事業視察としてスタート。“イギリス”“フランス”“アメリカ”などへ行く。
公益財団法人“資生堂子ども財団”運営する。1972年設立。児童福祉活動やる。元の名称“資生堂社会福祉事業財団”。
特例子会社“花椿ファクトリ”持つ。障害者雇用会社。
“TheValuable500”加盟する。障害者雇用支援団体。
障害者支援やる。
ダイバーシティ活動やる。
環境活動やる。
LGBT支援やる。
アーティスト支援やる。
“資生堂アートハウス”運営する。“資生堂ギャラリー”運営する。
香水売る。
“ヒカリエ8階”で資生堂のクリエイターによる『ユリカナ展』やる。資生堂宣伝・デザイン部に所属するフォトグラファー“金澤正人”と、資生堂ビューティークリエーションセンターに所属するヘア&メーキャップアーティスト“百合佐和子”による写真展。アソビシステム所属の“ゆら”他、“玉城ティナ”や“琉花”などがモデルやる。“ヒカリエ8階”にあるギャラリー“CUBE”で“金澤正人”と“百合佐和子”のギャラリートークもやる。
太田和彦
元資生堂宣伝部社員。新卒。デザイナー/アートディレクター。
終戦直後の中国の北京市で生まれる。生後すぐ長崎県佐世保市に引き揚げた。教師だった親の転勤に伴い長野県の木曽郡や松本市で育つ。
1989年に独立し“アマゾンデザイン”を設立。
2000年から2007年まで、東北芸術工科大学の教授を務めた。
著書あり。
仲條正義
元資生堂宣伝部社員。1968年から2008年まで40年以上にわたって資生堂企業文化誌『花椿』のアートディレクターを務める。
東京芸術大学美術学部図案科卒。
グラフィックデザイナー。1960年よりフリーランスとなり、翌年“仲條デザイン事務所”を設立した。
女子美術大学芸術学部デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン専攻客員教授。
河原敏文
資生堂のCMを河原敏文が創業した会社『ポリゴン・ピクチュアズ』が作る。
『ポリゴン・ピクチュアズ』は3DCG・アニメ制作会社。コンピュータ・グラフィックスを中心とする新しいテクノロジーを駆使し、映像・デザイン・アート・エンターテイメント・教育等の分野で新しいビジュアル・コミュニケーションを実践する。
世田谷一家殺害事件被害者の〝宮澤みきおさん〟が事件に遭った年にボランティアスタッフやった『広島国際アニメーションフェスティバル』で1992年に国際選考委員やる(国際基督教大学人文科学科卒(キリスト教系大学) の〝小野耕世〟と一緒)。
フリーのプロデューサー/ディレクター/CGアーティスト。
関西学院大学文学部英文学科アメリカ現代詩卒(キリスト教系大学)。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)デザイン科大学院修士課程修了(卒業後、デザイン科助手として同大学のビデオ、CG部門の学生の指導、研究に携わる)。
名古屋学芸大学教授。
『オフィシャル・タブー』を作家の〝椎名桜子〟と共同創業する。世田谷区の雑貨・服飾店『HANSEL&GRETEL』のプロデュースを担っていた。近年は〝椎名桜子〟の個人事務所として出版物の編集事業を展開。
京都府京都市出身。
椎名桜子
“河原敏文”が『オフィシャル・タブー』を椎名桜子と共同創業した。
作家/写真家/映画監督。
双子の妹〝椎名桂子(ジャーナリスト)”がいる。妹と『にじゅうに』という出版社を経営した。
少女時代にモデル業をし、1980年代に〝グリコ協同乳業〟のヨーグルトのコマーシャルに出演した。
成城大学中退(世田谷区)。世田谷区成城在住。
1988年に〝マガジンハウス〟から『家族輪舞曲』を上梓し、小説家としてデビュー。
塩田周三
“河原敏文”が創業した会社『ポリゴン・ピクチュアズ』の代表取締役。塩田が帰国子女で英語が堪能であるため、『ポリゴン・ピクチュアズ』はアメリカのテレビシリーズなどの受託案件が多く、再び規模を拡大した。
6歳の時に家族と共にアメリカに渡り、以降9年間をカリフォルニアで過ごした。
上智大学法学部国際関係法学科卒(キリスト教系大学)。
六甲高等学校卒(キリスト教系高校)。
元ビジネスコンサルタント。
元新日本製鐵社員。
〝TEDxKyoto〟のスピーカー。
兵庫県出身。
福本隆司
“河原敏文”が創業した会社『ポリゴン・ピクチュアズ』 の元社員。
TV-CM『資生堂HGスーパーハード ペンギン・シリーズ』作る。
ASIFA-JAPAN(国際アニメーションフィルム協会日本支部)会員。
大阪芸術大学映像計画学科卒。
大阪芸術大学映像学科非常勤講師。神奈川工科大学情報メディア学科教授。
元トーヨーリンクス社員。CG制作会社。
ASIFA-JAPAN(国際アニメーションフィルム協会日本支部)
“福本隆司”がASIFA-JAPAN会員。
世田谷一家殺害事件の被害者“宮澤みきおさん”がASIFA-JAPAN会員。
宮澤みきおさんのアニメーションの師匠“川本喜八郎”がASIFA-JAPAN共同設立者。
宮澤みきおさんが事件があった年に運営ボランティアやった『広島国際アニメーションフェスティバル』を主催・創設する。“愛と平和”を願い、広島国際アニメーションフェスティバルを始めた。
アニメーションの国際協会。
アニメーションアートの普及活動やる。
会員のほとんどが美術学校出身者。
本部はフランス・アヌシー市。
ヒカリエ8階
資生堂のクリエイターによる『ユリカナ展』をヒカリエ8階でやる。資生堂宣伝・デザイン部に所属するフォトグラファー“金澤正人”と、資生堂ビューティークリエーションセンターに所属するヘア&メーキャップアーティスト“百合佐和子”による写真展。アソビシステム所属の“ゆら”他、“玉城ティナ”や“琉花”などがモデルやる。ヒカリエ8階にあるギャラリー『CUBE』で“金澤正人”と“百合佐和子”のギャラリートークもやる。
ヒカリエ8階には宮澤みきおさんのアニメーションの師匠“川本喜八郎”の『川本喜八郎人形ギャラリー』がある。
原田知世
資生堂のCM出る(1985年)。
女優/歌手。
長崎県長崎市出身。
出身地の長崎にて、2歳の頃より姉の〝原田貴和子〟とともに鳳洋子に師事してバレエを習う。
中学3年生の時に『角川映画大型新人募集』に応募して特別賞を受賞、14歳で芸能界入り。
シングル『二代目はクリスチャンのテーマ』を姉〝原田貴和子〟と、角川春樹事務所の仲間の〝渡辺典子〟〝野村宏伸〟と一緒に『BIRDS』名義で出す。
映画『天国にいちばん近い島』に主演(17歳)。同名主題歌「天国にいちばん近い島」は初のオリコン1位を獲得。
高橋幸宏
“原田知世”が高橋幸宏の呼びかけにより結成されたバンド『pupa』に参加。原田知世をボーカルに迎え、高橋幸宏を中心に高野寛、高田漣、権藤知彦らによって結成されたバンド。
ミュージシャン/ファッションデザイナー/文筆家。
立教中学校・高等学校卒(キリスト教系学校)。
武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科中退。
神経症。
大学在学中にキリスト教信者のミュージシャン〝加藤和彦〟の誘いを受け、脱退した角田ひろの後任として『サディスティック・ミカ・バンド』に加入。
最晩年まで〝長野県軽井沢町〟に在住していた。
高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていた。中学校時代、同級生の東郷昌和とバンド『ブッダズ・ナルシィーシィー』を結成。
〝松任谷由実〟と立教中学校(キリスト教系学校)当時からの友人。
松任谷由実
“原田知世”が松任谷由実が提供した映画主題歌『時をかける少女』を歌う。
シンガーソングライター。
立教女学院中学校・高校卒(キリスト教系学校)。
多摩美術大学卒。
高校時代に“御茶の水美術学院”に通う。
松任谷正隆と横浜山手教会にて結婚。
「立教女学院のパイプオルガン、プロコル・ハルムに強い衝撃を受けた」と語っている。
6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。
中学時代から、当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていた。店名はキャンティ・ワインにちなむ。
“ワイン”と“パン”はキリスト教と非常に深い繋がりがある。最後の晩餐で、イエスはパンをとって「これがわたしの体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えたことから、キリスト教にとって“ワイン”と“パン”はとても重要なものになった。キリスト教の布教とともに、ワインは世界に広まった。教会のミサに行くと“赤ワイン”と“パン”をもらう。
大林宣彦
“原田知世”のデビュー作『時をかける少女』と『天国にいちばん近い島』の監督。
映画監督。
広島県尾道市東土堂町出身。
成城大学文芸学部中退。
尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。長岡造形大学客員教授。
エドツワキ
“原田知世”の元夫。
イラストレーター/アートディレクター/画家。
広島県広島市出身。
1990年代前半はレコードやCDジャケット、雑誌のエディトリアルなどのアートディレション、デザインを数多く手掛けた。
ウエアブランド〝nakEd bunch〟を展開。
〝エディション〟起業する。
陶芸作品作る。
個展やる。
原田貴和子
“原田知世”の姉。
資生堂のCM出る(1987年)。
女優。
長崎県長崎市出身。
スペイン・イタリア・日本合作による『アフガニスタン地獄の日々』にてスクリーンデ
ビュー。国内では〝大林宣彦監督〟の角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』でデビュー。第8回ヨコハマ映画祭で〝最優秀新人賞〟を獲得。第12回大阪映画祭で〝主演女優賞〟を獲得。
クラッシックバレエが特技。
著書あり。
南果歩
資生堂のCM出る(1989年~1993年)。
女優。
桐朋学園芸術短期大学演劇科卒。
在日コリアン3世。
母子家庭で育つ。7歳、小学2年生の時、父親の会社が倒産した。家は人手に渡り、風呂無しの文化住宅に引っ越すことになった。その時、父親と母親も別々に住むようになった。
うつ病と診断され、日本にいては人目もあって心が休まらない。残されたわずかな力を振り絞って、アメリカ・サンフランシスコへと脱出した。
2017年、一人息子が留学しているアメリカのサンフランシスコに渡って、語学学校に通う(うつになってから)。
アメリカの語学学校に定期的に通う。休みのたびのプチ留学。10代の若者から同年代まで、世界中から大勢の人が集まるスクールライフに刺激を受ける。仲良しは中国人と韓国人、ブラジル人。アメリカ在住の友人宅に居候しながらの学生生活。
2018年からはバンド『Nicochans(ニコチャンズ)』でボーカルを務めるなど音楽活動にも力を入れている。
南依岐
“南果歩”の一人息子。
アート作家/画家。
アメリカのサンフランシスコにある美術大学〝アカデミーオブアート大学BFA〟に留学し、卒業した。
アメリカや日本で個展やる。ギャラリーで個展やる。
小さい頃から絵を描くのが好きだった。
18歳の時にセゾン美術館で『接吻』に衝撃を受けて以来画家の〝クリムト〟が大好き。 アート好き。香港のアートイベント行く。
〝東日本大震災〟や〝熊本地震〟の被災地などへ絵本読み聞かせに訪れる。カンボジア・プノンペンの〝日本語学校〟や〝孤児院〟を訪れて絵本読み聞かせやる。
〝国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)〟の小児病棟で絵本読み聞かせやる。絵本の読み聞かせをライフワークにする。
絵本出版する。
短大在学中の84年に映画『伽椰子のために』(小栗康平監督)の一般公募のヒロイン役オーディションに合格し、映画デビュー。
短大卒業後1985年にTBS系列の昼ドラ『五度半さん』のヒロイン役でテレビドラマに進出した。
海外作品にも進出し、2015年にはCraig Shimahara監督の『MASTERLESS』でアメリカ映画に初出演。フィリピン映画界の巨匠ブリランテ・メンドーサ監督作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』に出る。デンマーク人監督ダニエルデンシックの映画『MISS OSAKA』に出る。
2021年、アメリカのApple TV+ドラマ『PACHINKO』にオーデションでメインキャストに選ばれた。
姉たちがピアノやバレエを習っていた。
〝ホリ・エージェンシー〟と所属後に業務提携した。
著書あり。
〝江崎グリコ〟のCM出る。
辻仁成
“南果歩”の夫。
ミュージシャン/作家/画家/詩人/映画監督。
フランス在住。
バンド『ECHOES(エコーズ)』のボーカリストとしてデビュー。
アートギャラリーで絵画の個展やる。
アトリエ持つ。
京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース学科クリエイティブ・ライティングコース教授。
WEBマガジン『デザインストーリーズ(Design Stories)』を立ち上げ、編集長やる(ライターいる)。
うつ/頭痛。アレルギー。
息子がうつっぽい。
フランスの家に教会が隣接する。
息子がフランスでキリスト教系学校に通う。
ロシア人の友人に連れられ、ニコライ堂でロシア正教会の復活祭に参加する。
キリスト教信者ではない。
広島や長崎でピースコンサートやった。
バンド『ECHOES(エコーズ)』時代、広島平和祈念コンサートの為に作詞した。長崎市平和会館でライブやった。長崎アトミック・カフェ・フェスティバルに出た。〝アトミック〟は〝原子〟という意味。
1999年『白仏』のフランス語翻訳版『Le Bouddha blanc』で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。
著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。
私塾〝人間塾〟開塾する。
日本経済大学客員教授。
帝京大学・冲永総合研究所の特任教授。
結婚は3回してる。
両親は福岡県大川市出身。
少年期は父親の転勤で福岡市、帯広市、函館市と各地を転々とした。
東京都日野市出身。
タイタン所属(芸能事務所)。
サザンオールスターズ
資生堂のCMソングを担当する。“広末涼子”などが出る。
青山学院大学(キリスト教系大学)で結成されたバンド。
アミューズ所属。
アミューズはシンガーソングライターで青山学院大学中退(キリスト教系大学)の“原田真二”のために設立した個人事務所が始まり。サザンオールスターズの貢献により大手となった事務所。“原田真二”がアミューズを辞めてから2週間後に、アミューズ創業者の“大里洋吉”がサザンオールスターズに出会った。
平和活動やる。
“セーブ・ザ・チルドレン”に寄付する。
阿佐ヶ谷ロフト系列店の“下北沢ロフト”の店員バンドだった。同系列店の“新宿ロフト”でライブしたり、アルバイトしてた。
大里洋吉
アミューズ創業者。
立教大学文学部英米文学科卒(キリスト教系大学)。“上智大学英語学科(キリスト教系大学)”が本命だった。
元渡辺プロダクション社員。
“一般財団法人みらいエデュテインメント財団”の理事長やる(アミューズが作った財団。アート表現、異文化交流などを通じた教育・教養事業やる。争いのない世界を実現するのが目標。食糧問題扱う。“みんな違うのが、おもしろい”がコンセプト)。
中学・高校時代にブラスバンド部に入る。中学1年の時に“朝日新聞主催”のブラスバンドの全国大会に出場する。大学時代に軽音楽部に入る。大学時代に芝居やる。
“キャンディーズ”の元マネージャー(渡辺プロダクション時代)。
小林武史
サザンオールスターズのプロデューサー。
NPO法人デザインアソシエーション理事(川崎健二《青山学院大学卒》が理事長のNPO)。 TOKYO DESIGN WEEK主催する(火災死亡事故を起こしたイベント。2016年11月6日のTOKYO DESIGN WEEKで、日本工業大学工学部建築学科と、生活環境デザイン学科の学生有志グループが出展したアート作品から出火し、死傷者を出した。照明が原因) 。
一般財団法人みらいエデュテインメント財団の理事(アミューズが作った財団)。
環境保全活動に取り組む団体に融資する市民バンク『ap bank』を共同で作る。
音楽プロデューサー・ソングライター・編曲家・キーボーディスト。
5歳からクラシックピアノを始めた。
ニューヨークで活動する。
すみれ
2007年の17歳の時に資生堂『TSUBAKI』のイメージキャラクターに起用される。
女優/歌手。
祖父が広島県出身。
義理の父がクリスチャンだったことから、幼いころに教会に通い幼児洗礼を受けた。小学校もハワイにあるカトリック系の学校に通った。
Free The Children Japan主催のフェス“チェンジメーカー・フェス”に出る。 スペシャルアンバサダーやる。国内外の貧困や差別から子ども子供をFREE(解放)にするための自立支援事業を実施する団体。
日本の小学校でイジメをうけた。母の松原千明はすみれを守るために、すみれが7歳の時にハワイへの移住を決意。移住先のハワイでも当初言葉が通じないためイジメを受けたが、英語を猛勉強して克服した。
7歳から19歳までハワイで生活していたためか英語が堪能である一方、漢字は苦手。
ハワイ暮らしが長かったため日本に戻ってきた時には日本語は全く話せず言葉の壁とカルチャーショックから孤独感に苦しんだ時期もあったが、帰国子女やハーフのタレント・モデルたちと知り合い、コンプレックスを共有することで、個性として肯定的に受け止め、前向きに活かしていけるようになった。
9歳で両親が離婚した。
高校1年在学中の2006年にモデルとしてデビュー。ボン イマージュに所属して『mina』『25ans』などのファッション雑誌に登場する。
2016年4月に熊本地震の被災地を2日間訪問し、同年6月に被災地復興の支援団体『スペランツァ』を賛同者とともに立ち上げ、東京・銀座で開催したチャリティ・イベントで支援活動をスタートした。
母方の祖母は元タカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生の“乙女松子”。
2歳年上の建築関係の実業家男性と結婚した。
松原千明
“すみれ”の母。
女優/タレント。
平安女学院短期大学キリスト教科卒(キリスト教系大学)。
父が広島出身で俳優。母が宝塚歌劇団卒業生の乙女松子。
若い頃から情緒が不安定になることがあった。精神安定剤を飲んでいた。精神安定剤の過剰摂取で亡くなった。
東宝芸能所属。
10代から地元関西で芸能活動を行う。
京都府出身。
石田純一
“すみれ”の父。
俳優。
母親は女学校時代に原爆投下後の広島市に後片付けに入った入市被爆者。白血病で亡くなった。
3歳から6歳までアメリカのワシントンで育つ。
大学在学中、演出家となることを考えて、演劇を学ぶためにアメリカに渡った。
不倫で干されて1億5000万円の借金ができた。
都知事選に出馬しようとして断念した。
国会議事堂前で行われた平和安全法制関連法案に対する抗議活動に参加した(SEALDs《シールズ》も参加した)。
石田ゆりこ
資生堂のCM出る。フランス語で歌声を披露する。
女優/声優/ナレーター/歌手/エッセイスト。
両親がキリスト教信者。名前の“百合子”は母親が聖書からつけたもの。
中学時代の3年間は父の仕事の都合で台湾の台北市に住んでいた。“台北日本人学校”に通った。
母親は沖縄県石垣島出身で、実家は石垣島でスーパーマーケットをやっていた。
女子栄養大学短期大学部卒。
台湾から帰国後、高校1年生の時に自由が丘・亀屋万年堂の前でスカウトされてモデルになった。妹・ひかりも1か月ほど後に二子玉川で同社『芸能プロダクション・ボックスコーポレーション』の同じスタッフにスカウトされている。スカウトマンは両名を姉妹とは知らずに声をかけたという。姉妹はほぼ同時期に契約を結び、芸能活動を開始した。
国立西洋美術館で開催される展覧会『モネ 睡蓮のとき』の記者発表に登壇し、同展覧会のアンバサダー就任(石田ゆり子名義)とテーマソング(lily名義)を担当。
『lily』名義で音楽活動やる。
国立西洋美術館で開催される展覧会“モネ 睡蓮のとき”の記者発表に登壇し、同展覧会のアンバサダー就任(石田ゆり子名義)とテーマソング(lily名義)を担当。
愛知県名古屋市出身。
石田ひかり
“石田ゆりこ”の妹。
女優/歌手。
キリスト教信者の両親によって、聖書に出てくる言葉から名付けられた。
中学1年生の時に二子玉川でスカウトされて芸能界に入る。
亜細亜大学法学部卒(同級生に親友の“中山忍”がいる)。
両親は転勤族で、3歳の頃まで兵庫県西宮市で暮らす。
“江崎グリコ”のCM出る(1986年)。
NHK職員(プロデューサー、演出家)の訓覇圭(当時NHK大阪放送局ディレクター)と結婚し、幼児期に住んでいた西宮市に一時在住した。
テンカラット所属。
“幻冬舎”から本出す。