世田谷一家殺害事件② 被害者“宮澤みきおさん”
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- 6月15日
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更新日:3 日前
≪被害者詳細≫
宮澤みきおさん
クリエイター/デザイナー。44歳。
最後に勤めていた会社で1997~98年に、社の支店があった中国の“上海”“北京”に社内LANを繋ぐために三、四日出張した。
元landor associates(ランドーアソシエイツ)社員。
CIやブランディングのコンサルタントやる。東京オフィスで働く。
共著した『インターネットでわかったこと・できたこと』260、261ページより
landor associates(ランドーアソシエイツ)。ブランディング・デザイン・コンサルタント会社。
製品・企業ブランディング(企業のCIやネーミング、パッケージデザインなど)を手がけるクリエイティブな仕事やる会社。
世界最大級の広告・コミュニケーションサービスグループ“WPP”のメンバー。
外資系会社(サンフランシスコ発祥・本社)。
手がけた仕事に『ニフティ』『NEC』『マイクロソフト』『NTTコミュニケーションズ』などのIT会社や、『上海環球金融中心』『タイ国際航空』『オリンピック』『世界自然保護基金(WWF)』『バンダイナムコ』『コナミ』『テレビ東京』『森永製菓』『ザ・ビッグ』『横浜元町商店街』『日本郵政』『大成建設』などがある。
landor associates(ランドーアソシエイツ)社員当時、他に個人的にも仕事する。
共著した『インターネットでわかったこと・できたこと』」260ページより
1987年にアメリカ大手企業コンサルタント会社の日本支社に入り、シニアコンサルタントの肩書で『ニフティ』や『富士銀行』などのCIプロジェクトの中心的メンバーとして活躍。
1991年には群馬県水上町が“ふるさと創生”の一億円を投じて話題になった、町のシンボルマーク制作にも関わった。
1997年に同社を退職して、同年7月に同業他社に転職。一年後にはイギリスの大手企業コンサルタント会社の日本支社に移籍し、CI部門のリーダーに就任した。一番新しい仕事は『全日空』の空港ラウンジのイメージチェンジ戦略だった。
宮澤みきおさんが仕事で関わった当時『ニフティ』の“ニフティサーブ”と、『NEC』の“PC-VAN”が日本のパソコン通信の二大ネット。パソコン通信は電話回線を利用する。
1989年からパソコン通信で電子メールやる。パソコン通信のメールアドス“people.or.jp”を使う。
共著した『インターネットでわかったこと・できたこと』260ページより
1992年12月28日撮影の自宅写真(?)の後ろの本棚に“NEXTSTEP RELEASE3”が写る。初期のパソコンソフト。1992年にリリースされたオブジェクト指向ソフトウェア。
インターネットを1995年に始めたインターネット先住民。
共著した『インターネットでわかったこと・できたこと』260ページより
1996年2月に“技術評論社”から共著で『インターネットでわかったこと・できたこと』を出版する。1996年の日本のインターネット普及率3.3%。
以上の事実から、宮澤みきおさんはまず仕事でインターネットに関わり、その後、まだ世の中にインターネットが普及していない1995年にプライベートでインターネットを始め、1996年の『インターネットでわかったこと・できたこと』(技術評論社)の共著者に繋がったとみられる。
仕事でデザインやる。
イギリスの大手デザイン会社で働く。
アメリカの大手デザイン会社で働く。
勤務先には内緒でデザインの副業(アルバイト)やる。事件直前。
趣味はアニメ。
大学在学中にSF・アニメ研究会に所属し、卒業後、アニメの制作に携わり編集プロダクションを設立した。また、クイズ番組の制作にも出題などで関わっていた。
事件に遭った年の2000年8月には『広島国際アニメーションフェスティバル』に、ボランティアスタッフとして参加している。
大学時代に人形劇やる。
七九年には人形芸術家の“川本喜八郎”の助手として、人形アニメ「火宅」の撮影を手伝っている。
大学時代に演劇をやり、劇団サークルに参加した。
1984年、友人と一緒に映像プロダクションを設立する。
1986年12月。自己啓発セミナーで知り合った、資生堂社員の泰子さんと結婚(みきおさん30歳、泰子さん27歳)。
グループえびせんのメンバー。1978年結成の日本のアニメーション自主制作・上映サークル。
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